68年との距離と日本の現代思想

福嶋

先ほどもルジャンドルの翻訳の話が出ましたが、最後に「思想の受容」についてお聞きしたいと思います。ルジャンドルは68年革命のことを「あれはハリボテの革命に過ぎない」ということをどこかで言っていたと思います。それとは別に、ベルナール=アンリ・レヴィが『人間の顔をした野蛮』でルジャンドルを評価するといったこともあった。ルジャンドルと革命、あるいはルジャンドルとヌーヴォー・フィロゾフの関係というのはどういうものでしょうか。

西谷

ルジャンドルはそういうフランスのメディア的な思想一般を軽蔑しています。自分はノルマンディーのど田舎の土人で、そんな根の浅いパリジャンのオシャベリなどは知らん、と。68年の頃も、アフリカ経験から西洋的国家や行政権力のことを考えていたし、ヌーヴォー・フィロゾフなんて眼中になかったでしょう。70年代の半ばから後半、ラカン派でラカンに正面切ってたてつけるのはルジャンドルしかいなかったから目立ったということがあって、ベルナール=アンリ・レヴィのような旧マオイストで当時ユダヤ教に転んだチャラチャラした兄ちゃんが、そこに引っかかったということじゃないですか。つい言い方が佐々木中みたいになってきたかな、ごめんなさい(笑)。レヴィはヌーヴォー・フィロゾフ・ブームで日本にも来て、じつは私はアルバイトのつもりで『ユリイカ』か何かのインタビューの仕事をしたのですが、転び左翼のユダヤ思想なんて、レヴィナスを読んでいると見え透いて全部先回りできたので、レヴィは「すごい、答える前から返事を知っている! あいつは誰だ?」と、後で訳者だった西永良成さんに聞いたそうですよ。

福嶋

西谷さんご自身は68年革命についてどう思っているのでしょうか。

西谷

もう忘れました(笑)。記憶の闇の向こうです。68年というのはフランスの戦後史の中ではすごく大きな意味を持っていると思うし、日本の戦後史の中でもある程度大きなことだったかもしれないけれど、60年のほうが大きいでしょうし、沖縄とか水俣病とかの方がはるかに重い。70年安保は私たちの世代にとっては子供の時から予告された日程だった。だから、たまたま渦中にいたというだけで、68年でとやかく言うようなことはないと思う。68年同窓会なんて腐って〇ね(伏字)という気がします。

福嶋

そう言えば、笠井潔さんの『哲学者の密室』(1992、光文社)を西谷さんがレヴィナスのところに持っていったというエピソードを拝読して、ちょっと驚きました。

西谷

あっ、あの本自体は面白いですからね。哲学アドヴェンチャー?笠井さんは、確か70年代にしばらくフランスに行っていたんですね。例えば、テロルの問題に一番こだわっていたのも彼だったし、ちょっと違うなと思いながらも親近感はありました。でも、89年にベルリンの壁が落ち、ソ連が崩壊した後で、彼らは大きなショックを受けていて、それぐらい共産主義や革命への思い込みがあったわけだけれど、私にはそれが一切なかった。ロベスピエールにある思い入れはありますが、社会主義革命というをのを信じていませんから。でも、あの本は私の訳した『実存から実存者へ』(1987、朝日出版社)などに刺激されて書かれたもので、笠井さんとしてはレヴィナスに読んでもらいたかった。ついでに明かすと、この作品の主人公の矢吹駆が収容所生き残りの哲学者エマニュエル・ガドナスに会いにゆく場面は、じつは私が初めてレヴィナスを訪ねた時の話なんです。笠井さんは私にレヴィナスは実際にはどんな人なのかと聞いて、それをこの場面に生かしたのです。そのこともレヴィナスに伝えました。もちろんレヴィナスは日本語など読めませんが、肝心なのはモノです。私もレヴィナスに、日本ではあなたの仕事に触発されて、翻訳も次々に出ているし、こんな小説まで書かれている、ということを知らせたかった。菊地信義さんの装幀で締まった分厚い本ですが、その読めない本を手にして、鏡を見てわずかにほほ笑むような風情で、茫然と遠い未知の国に思いを馳せるレヴィナスの表情は忘れられないですね。

福嶋

80年代の浅田彰さんの登場を契機として、日本の現代思想は長らくフランス思想が中心になり、西谷さんもそこで主導的な役割を果たされてきました。日本におけるフランス思想についてはどう考えられますか。

西谷

いや、私はそういう場面ではあまり相手にされていないですよ。現代思想の解説書なんかにはまったく出てきませんから。ただ、浅田さんとは10年に1回ぐらい、どこかでばったり会ったりすることがあります。この前は、宇佐美圭司さんの亡くなった後に開催された和歌山県立近代美術館の展覧会のオープニングで偶然顔を合わせました。

浅田さんを最初に知ったのは、フランスから帰ってきてすぐかな。私はフランスに2冊だけ日本語の本を持っていったんです。日本語を忘れないために唐十郎の『腰巻お仙・特権的肉体論』と土方巽の『病める舞姫』を持っていって、途中で誰かが平岡正明の『山口百恵は菩薩である』を送ってくれて、その3冊しか読んでいなかった。フランスから帰ってきて、日本では何が起きているのかと、いろいろな雑誌をのぞいたら、やはり浅田さんが目についた。読んで、実際に舌を巻きましたね。「チャート式」と言われてたけれど、当時のフランス思想の、コンテクストまで整理したチャートができている。こりゃもう全く違う知性だと思って、本当に新人類という語がふさわしいと思いました。いわば最初の知のデジタル世代だったんじゃないでしょうか。

当時、ブランショやバタイユについての本が出ると、日本でそのあたりのことをやっていた人たちがみんな版権を取ってしまって、そのくせいつまでも訳さないんですよ。しょうもないなと思って、ブランショのLa communauté innavouable(1983, Edition de minui、『明かしえぬ共同体』ちくま文庫)が出た時は、「これは私がやらないといけない」と思った。私は結局、フランスで論文を書いてこなかったんですが、この本を読んだ時、「自分の書きたかったのはこれだ!」と思ったんですね。だから余計に、今までの人に任せてはおけないと思って、小林康夫さんに声をかけた。当時彼は『エピステーメー』に書いていたから、朝日出版社の中野幹隆さんに相談して、翻訳本のシリーズをつくろうということになった。それで出せたんですね。いっしょに、ナンシーのLa Communauté Désoeuvrée(1983、 Paris: Christian Bourgois、1985、『無為の共同体』朝日出版社)も出せた。ナンシーは初物だったけれど、ブランショのとセットで出せたんです。

そうしたら、その後で『ユリイカ」のバタイユ特集(1986年2月号)が組まれて、そこで中沢新一と浅田さんが対談していて、浅田さんがナンシーに触れたんですね。「一昨年はぼくたちニューアカが出てきたけれど、去年は丘の上に立ち尽くして呆然として『共同体』とか言うような反動的な傾向がでてきましたね」みたいなことを言っている。それで、ああそうか、こっちが一方的に読んでるわけじゃないんだと、少しやる気をだしました。「ハイデガー論争」などに取り組んだのはその後です。

それからしばらくして駒場に教えに行くようになった最初の年、授業の合間にフランス科の研究室に行ったことがあります。小林さんと一緒だったんですが、そこで初めて蓮實重彦さんに会いました。ちょうどその少し前に、『批評空間』になる直前だと思いますが『季刊思潮』で浅田さんが、「ブランショの影響を受けたやつは馬鹿だ」みたいなことを言ったのに蓮實さんが合いづちを打っていて、ちょっとムカッとしたので、これは少し言ってやろうと思って、小林さんが席を外した時に、「蓮實さん、ブランショの影響を受けたバカというのは小林康夫のことですか」と聞いてみました。そうしたら蓮實さんが、「いや、いや、それは違います。ほら、テレビに出ている篠沢なんとかとかいるでしょう」なんて言い逃れをするわけ(笑)。

小野

フランスに滞在中の西谷先生のところに僕がお邪魔させていただいた時に、蓮實先生がいらして夕飯をご一緒したことがあります。

西谷

そうでしたね。サバティカルでパリに住んでいた時、ちょうど日本から避難しに来ていた蓮実さんにカフェでばったり出遭って、それなら家で夕飯でも、となったその晩、小野さんたちが家に泊まることになっていたんですね。今も偶然だけれど近所に住んでいて、踏切で柱にぶつかるような感じで不意にばったりお会いすることがあります。ここで会ったが百年目、お茶でも飲んでいきますかと誘って近くの喫茶店へ行く。すると、大リーグにはじまっていろんな話を滔々としてくれます。蓮實さんに対して駒場の人たちは頭が上がらないという感じなんだけど、私は教えてもらったという関係ではないし、テクストもアフェクティブな入れ込みなしに読んでいるから、蓮實さんも暇つぶしに付き合ってくれたんですよ、きっと。

それと、浅田さんのことの続きですが、一般に、つまり日本の知識メディアの中では、浅田・蓮實・柄谷という『批評空間』グループがあって、その後は浅田さんが推した東浩紀がいて、今は「ゲンロン」を取り仕切り、最近は千葉雅也さんとか國分功一郎さんとかが出てきてたという見取りがありますね。それが同時に、日本の「ポストモダン」以降のフランス系の系譜でもあって――たいていドゥルージァンですが――、日本の「現代思想」とかを扱った本などで言及されるのはそういう人たちです。まさにチャートですが、そういうところからは私などはもれ落ちていて、論外なんですね。つまり場所がない。ところが、彼らは「否定神学」とやらを仮想敵にして自分たちの踏み台にしているようで、そう言われると、バタイユの徒の私としては、そんなことは無駄だし、いい加減そんな仮想敵退治はやめて、いま何を考えるべきか、何が思考の課題なのかを、しっかり考えてやったらどうかと思っています。

[後編 目次]
■1 ルジャンドルのドグマ人類学
■2 フマニタスとアントロポス
■3 アントロポスからフマニタスへの働きかけ
■4 カズオ・イシグロと医療思想史
■5 68年との距離と日本の現代思想
■6 教師と私生児


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