『アメリカ─異形の制度空間』をめぐって

福嶋

西谷さんの一番最近の仕事はアメリカ論(『アメリカ──異形の制度空間』2016、講談社)ですが、これは西谷さんの思想の新境地だと思いました。大きく言うと、アメリカというのは自由という制度を創設していくようなプログラムが根っこにあるという話ですね。それが過剰に拡大した結果として、今の世界はよくない方向に導かれている。

しかし、この本の中でも少し引用されていたと思いますけれども、例えばハンナ・アレントは、自由の創設というアメリカ革命のプロジェクトを肯定的に評価しているところがあったと思うんです。フランス革命は「解放」のプロジェクトになっていくんだけれども、アメリカ革命のほうは制度的に「自由」を設計していくところがあって、むしろそこにこそ評価すべき革命があるというわけですね(『革命について』1995、ちくま学芸文庫)。西谷さんはこのアレント的な図式をさらにひっくり返して、むしろその自由の創設という仕組みそのものの問題点を突いていらっしゃると思うんですが、そういう理解で正しいでしょうか。

西谷

確かに、そう受けとめてもらえるなら、基本的にはそれでいいと思いますが、実際の動機はもう少し別のところにあるんです。ひとことで言えば、経済の専制と新自由主義に対する制度的観点からの根本批判ですね。

私は9.11の時にこれはまずいと思って、大袈裟に言えば世界中で誰もあの事態に対応できていないので、「テロとの戦争」がとんでもないということをいろいろと書きました。1年後にはそれを『「テロとの戦争」とは何か―9.11以後の世界』(2002、以文社)という本にまとめたんだけど、ほとんど読まれなかった。いや、多くの人が読んで反応してくれたけれど、少なくとも一般的には広がらなかった。ひどいのは、たんに反米じゃないかという反応ですね。最初に『世界』に書いた「これは戦争ではない!」(『世界』岩波書店、2001年11月号所収)は「テロとの戦争」の問題点を、その時点ではっきり書いたつもりでした。その後も9.11から2年ぐらい、テロとの戦争という枠組みがいかにおかしいかということを機会があるごとに論じてきたんだけれど、なかなか浸透しない。どうしてかと考えた時、このグローバル化とテロとの戦争という事態に至ったことの根底に、やはり近代以降の世界の「経済化」―経済が規範的原理になっていくということ―を問題にしないと駄目だと思ったんです。その端緒は「『テロとの戦争』とは何か」の改訂版(『〈テロル〉との戦争─9.11以後の世界』2006、以文社)の冒頭に図を入れて展開しましたが、国家間関係がグローバル秩序になった時、その全体が世界の経済システムを管理するためのものになっていて、今の世界の基本的な決定要因が経済の局面に移っているということをきちんと示さないといけない。そう思って、しばらく「経済」なるものについて考えていたんです。何やるにしても遅いんだけれど、それを1冊にまとめることはなかなかできなくて、それでも一応、フランスから人を招いたりシンポジウムを開いたりして、それを整理してまとまった文章を加える形で、出しておくだけ出したというのが『“経済” を審問する』(2011、せりか書房)という本です。

福嶋

確かに「経済の思想化」は未開拓の分野だと思います。

西谷

アメリカが代表する世界秩序とは何なのかということを、もう一度、戦争という枠とは違うところから考えてみたいと思った。9.11の後、宇野邦一さん、鵜飼哲さんと3人で『アメリカ・宗教・戦争』(2003、せりか書房)という鼎談の本を出したのですが、そのあたりから考えてきたこともあります。また、『世界史の臨界』(2000、岩波書店)の展開という意味もあります。鵜飼さんからは「『世界史の臨界』ではカトリックのことは扱っているが、プロテスタントが考慮されていない」ということを指摘されていて、それは確かにそうで、アメリカについてプロテスタント以後のキリスト教世界という観点から考えてみようということもありました。それと、西洋史における宗教・政治・経済の分節ということですね。そういうのがいろいろ練り上がってきて、リーマン・ショックの後で『世界』からの依頼もあって、そこで4回連載したんです。その連載が『アメリカ―異形の制度空間』のもとになっています。

近代の「経済」という観念と「自由」という観念の結びつきが、一番規範的な形で現実化していくのがアメリカです。アメリカとは何なのかを考えてみると、今では世界で一番知られている「アメリカ」という固有名詞も、実は500年前にまったくいい加減な偶然でついた名前です。その名前が西洋世界で徐々に実体化していきますが、それが国家になったのはわずか250年前。そしてその国は、100年経ったら世界の一等国になり、さらに半世紀のうちに世界最大の国家になった。世界史の全体から見れば、急速に起きた現象だけど、それが全世界を引っ張っている。先物買いの人たちは、もう没落を語っていますが、これって何なのか、考える必要があるでしょう。

だから、一体どういうことなのかを書こうと思ったんです。その際、軸になるのが、まず西洋近代の一番の価値のように持ち出され、今も世界の主導的イデオロギーになっている「自由」、アメリカが体現するとみなされた「自由」とは何なのか、どのようにして設定されたのかということです。こんなのは昔からあったわけではなく、設定されたわけです。では、どのように設定され、どのように機能してきて、こういう国家をつくったのか。アメリカの独立宣言というのはまさにアダム・スミスの『国富論』が出版されたのと同じ1776年なんだけど、「自由」というのが近代以降の「経済」という観念にとって何なのか、そしてそれがどう組み合わされて社会を組織し、それが結局のところどのように世界をリードするモデルとなって現実の世界を巻き込んでここまで来たかをたどってみようと思いました。だから、アレントの革命観というのも、じつは西洋的すぎてあまり感心しないんです。

[中編 目次]
■1 90年代の「戦争論」と9.11後の「テロとの戦争」
■2 現実の戦争と絶対的戦争
■3 合理性を支えるコナトゥス
■4 プロティノスからバタイユへ
■5 唯物論とイスラム国
■6 『アメリカ─異形の制度空間』をめぐって
■7 ジャン=リュック・ナンシーの共同体論
■8 存在論的な技術論への留保


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