「ばあばあ・さる・じいじい」と
「エトワール広場」

西谷

ついでに言うと、小野さんは法学部に進むはずの文Ⅰだったんだけど文学がやりたいとかで、その後、駒場の大学院に進んで石田英敬さんのところでフーコー研究をやったんだよね。じつはそれに関してもいろいろエピソードがあって、そう思うと小野さんとは浅からぬ因縁がある。しかしまぁ、それは省きましょう。私はフーコーと小野さんはミスマッチじゃないかと心配して、懇意にしていた石田さんに「小野はどうだ?」と聞くと、彼は口が悪い人だから(笑)、「箸にも棒にもかからん」なんてひどいことを言うんです。それでもなんとかフーコーについて修士論文を仕上げて私のところにも持ってきたんですが、その時に「こんなものもついでに書きました」と言って見せてくれたのが「ばあばあ・さる・じいじい」(『水死人の帰還』[2005、文藝春秋]に収録)という短篇だったんですね。

小野

僕は最初の作品はほとんど誰にも見せていなかったんですが、そういえば、先生にはお渡ししました。

西谷

その修論の方は一応論文の体裁にはなっていて、これなら審査は通るだろうという程度のものなんだけれど(笑)、もう一つの「ばあばあ・さる・じいじい」はぶっ飛んでいて、「あいつ、こんなもの書くんだ!」と唸ったんです(笑)。想定外でした。

2014年にノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノというフランスの作家がいます。彼は本当はノーベル賞をもらうような作家ではないと思うんだけれど、私は1980年前後にフランスに行った頃から、最初の4、5冊ずっと読んでいました。モディアノの1作目はハチャメチャであまり評価もされなかったんだけど、2作目で少し落ちついてきて、確か3作目でゴンクール賞をもらって、4作目はフランス文学大賞をもらいました。その後は自動的に書けるようになっちゃって興味を失いましたが、最初のハチャメチャな小説がすごくおもしろかった。

モディアノの父親というのは占領下のパリを生き抜いたユダヤ人で、戦後はいられなくなってフランス社会から姿を消してしまったようです。ユダヤ人はナチスの犠牲者、というのが通念の戦後フランスで、胡乱な不在の父親をもった多感なモディアノは、複雑な心境を抱えた少年だったんでしょう、めちゃくちゃ頭がこんがらがっているんです。その処女作はLa Place de l’Étoileという何の変哲もないつまらないタイトルの小説です。要するにパリの凱旋門広場のことなんだけど、「エトワール」というのは星で、その広場から街路が放射状に出ていて、中でも一番大きな通りが有名なシャンゼリゼですね。

けれどもこのタイトルには裏がある。田舎から花のパリに出てきた占領軍のドイツ兵がシャンゼリゼを歩いていて、行きずりの男に声をかけた。「エトワール広場はどこですか?」。そうしたら男は、目深にかぶった帽子を上げもせず、黙って自分の左胸を指さした。これは実はユダヤのジョークなんです。占領下で胸に黄色いダビデの星のマークをつけることを義務付けられていたユダヤ人の、自虐とも抵抗ともみえるしぐさがこのジョークの肝ですが、その「エトワール広場」が作品のタイトルになっているわけです。

それはもうハチャメチャな小説で、最後に主人公は捕まって、猿ぐつわをされたまま船に乗せられて地中海を渡って連れて行かれたのがある尋問室。でも厳しい尋問をするのはゲシュタポではなく、イスラエルの官憲で、「おまえのトランクにはカフカの本が入っていた。ユダヤの青年はもうこんなしみったれたものを読む必要はない。今や我々にはナチスも羨む軍隊があり秘密警察もある。恐れる必要はないのだ。おまえのような腐れユダヤ人は、キブツに送って根性を叩き直してやる」。そう言われて強引に連行されて行く時パッと目覚めて、それが夢だったとわかる。なんと自分はフロイト先生のわきで長椅子に身を横たえていた、つまり精神分析を受けていた。そんないい加減でハチャメチャな小説なんだけど、たぶんこれを書いて何かを吐き出さなかったらモディアノは物語を語ることができなかった。そういう意味で不可避的な傑作小説なんです。

福嶋

それは面白いですね。西谷さんは、狂気をはらんだハチャメチャな存在に対する関心が一貫しておありかと思うのですが。

西谷

いや、私はまともですよ(笑)。小野さんが最近書く小説はまったくハチャメチャではないけれど、「ばあばあ・さる・じいじい」は本当にぶっ飛んでいた。だから、こいつはもう書くしかないんじゃないかと思ったんです。

でも、私も古いので、その後でチラッと言ったのは、学者は褌を締めて勝負する、作家は褌を外して勝負する。締めたり外したりチラチラやるんじゃないよ、ということなんだけど、この人はチラチラをやるんですね。学者も作家も両方やっているわけでしょう。

福嶋

でも、小野さんのような存在はとても貴重だと思うんです。今はすっぽんぽんの作家と褌をはいた学者に両極化しているわけですから。

西谷

私の感覚からすると、「ばあばあ・さる・じいじい」は、褌なんて生まれてから見たこともない、という書き方ですよ。それを修論と一緒に持ってきて、「なんじゃ、これは!」という感じでしたね。

福嶋

小野さんも西谷さんならわかってもらえると思って、持っていったわけですよね。

小野

同じクラスだった嘉戸一将さんともよくそういう話をするのですが、僕らの本当に大きな幸運はやはり西谷先生に会えたことです。大学に入って間もない二十歳ぐらいの時のこういう出会いはすごく重要だと思うんです。僕らは、この西谷修という他所の大学からフランス語を教えに来られていた先生に、とにかく強烈に惹きつけられたんです。それでぜひ個人的に話を聞いてみたいと思ったんだけど、先生はお忙しそうだし、先生の書いた本は読んでいかないといけないと思って『不死のワンダーランド』を読んで、最初はまったく理解ができなかったんだけど、そこで初めてバタイユやブランショ、レヴィナスを知ったわけです。

西谷

小野さんたちよりも少し下の世代、佐々木中さんや西山達也さんの頃は、学生発議でゼミを立てると単位になる自主ゼミというのがあったね。そこでも最初はブランショやレヴィナスを題材にしていたのですが、私も少し飽きてきていて、ちょうどルジャンドルをやり出していたので、もうこれしかやりたくない、そんな訳のわからないものでもよければやろう、ということで番外ゼミを続けた。これは駒場の自主ゼミが2年で終わってからも明治学院で何年か続けて、いま早稲田の橋本一径さんや、佐々木中さん、東大の森元庸介さんなんかが中心メンバーだったね。クレオール文学の中村隆之さんもいた。そういえば、駒場で教えていたのが文Ⅰ・Ⅱ(法・経)のクラスだったので文学系の人は少なかったのかな。

[前編 目次]
■1 教師としての西谷修
■2 「ばあばあ・さる・じいじい」と「エトワール広場」
■3 ルジャンドルとの出会い
■4 翻訳と日本への紹介


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